Archive for the ‘art’ Category

11月8日

金曜日に同業者の知人数名と馬場で飲み。飲みの席で禁煙の報告をすると、同席していたタバコを吸わない男性二人が実は以前吸っていたことが判明。それなりに禁煙に苦労した話を聞いて驚く。

週末は久しぶりに予定が何もなかったので、買い物以外外出せずにのんびり自宅で過ごす。描きかけの水彩画を完成させる。かなり気に入った出来になった。この方向性でしばらく描き続けることになるだろう。

10月30日にレヴィ=ストロースが亡くなった。

6月21日

金曜日は休みだったので、夕方から『ラウル・デュフィ展〜くり返す日々の悦び〜』(三鷹市美術ギャラリー)を見に行く。水彩と油彩を中心になかなか見応えのある展覧会だった。彼の描く画面は、実際にはかなり抽象的で野心的なものだと思うのだが、一般的にはデュフィが好きというと何となく気取った人間のように思われる気がする。

今回は図録を買わなかったので記憶が曖昧なのだが、建物のベランダから目の前の庭を描いただろうと思われる、『ホンバーガー家の庭』は、画面の中央の風景に彩色が施され、両サイドは余白のまま(線描はあったかもしれない)だった。おそらくデュフィの目には「光」が当たっている場所にこそ色が存在し、光が当たっていない場所は影ではなく存在しない余白なのである。

『電気の精』はリトグラフであったものの、この大作の細部をゆっくり鑑賞できてよかった。イラストっぽいのではと懸念していたのだが(そもそもこの作品は由来からしてイラスト的ではあるのだけれど)そんなことと関係なく良い作品だった。考えてみればこの時代というのは、良い意味でイラスト(あるいはデザイン)とファインアートの区別があまりなかった牧歌的な時代でもある。画面の中に電気史上の人物の群像が描かれていて、それらが文字も含めて非常に美しくて感銘する。

デュフィの作品を見ていくと、当たり前の事ではあるのだけれど水彩と油彩で表現がずいぶん違っていて、自分はもっと油彩のことを真剣に研究しなければならないと思った。このへんは日記で書いても詮無きことなのできちんと噛み締めよう。

見終えてから三鷹から飯田橋に向かう。飯田橋 T で久しぶりに S さんと I さんに会う。二人とも作家なので、おみやげにデュフィのポストカードをおみやげに渡して飲み。作家と飲むのは一番楽しいかも。

土日は書くべきことなし。Tumblr を更新していると、それだけで一仕事したような錯覚に陥ってしまって困る。

4月27日

終日仕事。ようやくゴールが見えてくる。午後にいきなり妹一家が遊びにくる。中学生になった甥は変声期らしくて野太い声になりつつある。しばらく見ない間に面長になり大人っぽくなった。

日曜美術館はアングル。なんだかんだ言って日曜美術館は、姜尚中が司会者になってからずっと見ている。アングルの『グランド・オダリスク』におけるデフォルメは、番組の中で言及していたピカソよりも、むしろマティスの『ピンクの裸婦』の変貌を思い起こす。

4月5日

風邪の具合がやや良くなったので、洗濯などをしながら終日自宅で執筆。前回の改訂版なのだが、なかなか思うようにはかどらず。

日曜美術館は曾我蕭白。リニューアルしてメインキャスターが姜尚中になった。(カン サン ジュンと読むらしい)この人の声は嫌いではないが、何をしゃべっても深刻な話をしているみたいで、以前の牧歌的な雰囲気はなくなってしまったように思う。ゲストは村上隆。蕭白も村上隆も、いわゆるマティスなどの画家とは対極にある作家なのでさほど関心はなかったのだけれど、蕭白の作品や生きざま、村上隆のコメントを聞いて、自我をどこまで作品に表すことができるのかという作家としての命題が、はたして自分にどれだけ備わっているのかということを考えさせられた。

3月28日

昼間晴れていたのでようやく春の陽気が戻ってきたと思ったら夕方にはすっかり曇って寒々しい。今週は火曜日から4日間しか働いていないのにひどく疲れる。講義ではない実習のチェックやアドバイスは、文字通り身を削っているような気がする。自宅に戻って夕食を食べ終わると眠くなって仮眠をしてしまう。この週末はやらなければならない仕事がいっぱいあるけれど、とりあえず今晩はまるでやる気が起きず。

美術に詳しい受講生がいて(時々まれにいる)、実習中にしばし美術談義をする。シグマー・ポルケの話が出たので上野の森美術館のポルケ展の図録を貸してあげた。

1月25日

新日曜美術館はニコ・ピロスマニ。以前ブログにも書いたことがあるけれど、大好きなグルジアの画家。20年ぐらい前に東京で開催された展覧会を見に行ったことがある。

もともとナイーフ・アートが嫌いではないので、ハワード・フィンスターやピロスマニのような作風にはついつい目を奪われてしまう質なのだが、彼の作品は、情緒的な意味で好きというよりもむしろ、その画面の成り立ちが一般的な絵画のそれと違っているところが特にすばらしいと思う。下書きがあるとは思えない大胆な描画。イコンのような(もしくは看板絵のような)素朴な人物のフォルムや構図。意図的ではないデフォルメ。そしてそれを引き立たせている黒い背景と白いモティーフ。それらはピロスマニの作品の味と呼ぶものなのかもしれないが、僕にはとても奇異な画面に見える。

とうていそのようには描けないピロスマニの不思議な画面は、薄っぺらで無意味な情報によって本来誰もが持っているはずの自由に描くという能力を退化させて、そのように描けないものたち(自分を含め)をあざ笑うかのようだ。だから多くの人がピロスマニの作品にハッとし、そして琴線に触れるのではないだろうか。もちろん寂寥感漂うその画面や、モティーフに対するピロスマニの慈しみ溢れる視線にも魅了されるとしても。

夜になってジョージ・ウィンストンなんぞを聞く。まったくらしくない(笑)

1月19日

寒い一日。夕方まで自宅で作業。新日曜美術館は菱田春草。明治以降の日本画の中では好きな方。代表作の『落葉』を見ると長谷川等伯の『松林図』を思い浮かべてしまう。

春草は伝統的な日本画の枠組みから抜け出そうとかなり野心的な試みを実践してきたらしい。例えば『落葉』は障屛画のような構図で洋画風なタッチと言えるし、日本画のタッチや構図で現代風なモティーフを描く、というようなハイブリッドな構造というのは誰もが思い浮かぶわけだけれど、そういった知的パズルみたいなことはただ面白いだけで芸術とはあんまり関係ないと思うし、よいと思う作品に出会うことはあんまりない。そういう意味では春草の作品は品が良いと思う。

『松林図』を検索していて、川端康成が愛蔵していたという国宝の『凍雲篩雪図』の作者を浦上玉堂ではなく川合玉堂だと今まで勘違いして思い込んでいたことが判明!

来週はニコ・ピロスマニ。すごく楽しみ!