artの最近のブログ記事

新日曜美術館は琳派特集。宗達、光琳、抱一。

光琳の『紅白梅図屏風』は絵画というよりデザインである、と言いたくなるような構図。紅梅の枝振りと中央の川のシルエットが、あまりにもピッタリ収まっている(あるいは紅梅がわざわざ川の流れを避けるように配置されている)のは、ともすれば出来の悪いデザインになりがちなのだけれど、光琳の絵の場合、これ以外はあり得ないという構図になっている。『燕子花図屏風』もまたしかり。燕子花の配置や余白があまりにもデザインとして完璧な構図なので感心する反面、絵画にとって構図とはいったい何だろうか?と思ってしまう。

宗達にもデザイン的に見えてしまう作品があるものの、例えば光悦との共作である『鶴下絵三十六歌仙和歌巻』に描かれた鶴などは、光琳の燕子花に比べれば比較的風通しの余地がある構成になっているように思われる。

日本画を描く予定も技量もないのだけれど、退屈な洋画(という言い方でいいのだろうか?)よりも参考になる発見がずいぶんあった。東京国立博物館の『大琳派展』も見に行きたいのだが、おばさまたちで大混雑しているだろうことを考えるとつい二の足を踏んでしまう。

「咳をしても ひとり」

「からす泣いて 私もひとり」
 

終日自宅で仕事。今日のノルマを終わらせて請求書などを書く。請求書の宛名を書くために名刺を探していたら、若い頃一緒に勉強していた美術評論家の N さんの名刺が見つかる。この名刺を受け取ったのは三年前の自分の個展会場だった。名刺を見て西荻に住んでいることが判明。というかいいかげん名刺を整理するべき。

仕事は途中で飽きてきて、リビングの蛍光灯のスイッチの配線をしたり作品を木枠に張ったり。S120号の作品はやっぱり大きくて、こんな絵をベッドや本棚がある6畳間で描いていた自分に驚く。

あまり楽しい気分になれずに一日が終わる。

妹や受講生がよかったというものだから、国立新美術館に『エミリー・ウングワレー展』を見に行く。というか、東京ミッドタウンに行くのも初めて。六本木はどんどんコジャレた街になっていくことであるなぁ。

晩年の数点のカラーフィールド・ペインティング(というには少々小さいけれど)は、どこかヘレン・フランケンサーラーの作品を彷彿させて心地よし。その他の作品はブライス・マーデン風だったり草間弥生風だったり。圧倒的な感動はないものの、独特な色遣いに感心していたら、絵の具に赤褐色の土や石を混ぜていたらしい。

他のアウトサイダー・アートにも言えることだけれど、こういう異色の作品をどのように評価すればいいのか僕には難しい。

用があって渋谷に。同行してくれた知人に教えられて神南方面の喫茶店に行く。まだ見ぬパリのカフェもかくや、と思わせる佇まいにしばし暑さを忘れて憩う。

北口戎で飲む。家族連れが多く混雑していた。家に着いてから、暑苦しいと不評だった髪を妹に切ってもらう。

ようやく iPhone 3G を買いますた(照)

梅雨が明けたらしい。暑さは相変わらず。

レンタカーを借りて以前同僚だった A さんに教えていただいた、三島にあるクレマチスの丘に行く。行ってみてわかったのだが、愛鷹山の中腹にあるというこの丘は、二つのエリアに分かれた広大な敷地に「ヴァンジ彫刻庭園美術館」「クレマチス ガーデン」「ビュフェ美術館」「井上靖文学館(今回は立ち寄らず)」があり、いくつかのレストランが点在する。

「ヴァンジ彫刻庭園美術館」は彫刻家ジュリア−ノ・ヴァンジの作品を野外と建物内に展示してある広い美術館。きれいに整えられた庭園にヴァンジの作品がモニュメントのように置かれている。ヴァンジの作品にはあまり感銘を受けなかったが庭園の出来はすばらしく、歩いているとだんだん精神が浄化されていくような感じ。アラン・レネの『去年マリエンバードで』のような非日常の空間だった。庭園を歩いて行くと無機質なコンクリートの建物があり、中に入るとヴァンジのデッサンやデリケートな大理石の作品などが展示されている。

建物を下に降りて行くと出口があり「クレマチス ガーデン」に出る。様々な花が咲き乱れる楽園のような庭園。庭園の周囲には数々のクレマチスが植えられ、ヴァンジの作品を中央に据えている円形の池には色とりどりの睡蓮が咲いている。その先には僕がイメージする欧米の庭園そのものといった趣の、円形の小さな庭園があり、その放射状に伸びた通路の一本が「ティーハウス ガーデナーズハウス」に続く。ここでラ・フランスのフレッシュジュースを飲む。レストランに続くカナールのボーダーガーデンと呼ばれている小径は道の脇を水が流れ、ピエロ・デラ・フランチェスカの作品の背景に出てきそうな幾何学的な造形。全ては良し。

クルマで5分ほどの距離にある「ビュフェ美術館」に行く。ベルナール・ビュフェはあまり関心のない画家ではあるけれど、原画を一度も見た事がなかったので、圧倒的な量の原画を見る事が出来てよかった。彼の描く極端にデフォルメされた人体のシルエットはやはり美しいと思った。ヴァンジの彫刻にいささか食傷気味であったので、平面作品を鑑賞してホッとしたというのも事実。そして作品よりも妻であるアナベルとビュフェを撮ったアトリエのスナップ写真の拡大パネルが印象的だったと書いたら情緒的に過ぎるだろうか。写真から二人の愛情の深さがよくわかる。そしてアナベルの凛とした美貌。

美術館の隣にある「オーガニック・ビュフェ」で昼食後東京に戻る。計算したわけではないのにレンタカーの返却時間ぴったりに営業所に到着。程よく疲れたので北口戎でビールを飲んで帰宅。印象に残る小旅行だった。

仕事が終わってから、かつての同僚 A さんと久しぶりに会い四谷三丁目の某企業で打ち合わせ。打ち合わせ後にボクの絵にちょっと似ているとスパイラルガーデンでやっていた『津上みゆき展』のことを教えてもらう。ボクの絵というよりも木村忠太に似ていると思ったけれど、ボクの好きな絵であることには違いないのでちょっとうれしかった。

自宅に戻ると喉の調子はいよいよ悪化し、とうとう声が出なくなってしまう。

川村記念美術館の『マティスとボナール』展を最終日にようやく見る。混んでいる美術館ほど腹の立つものはないにもかかわらず、最終日に見に行くなんて無謀なのだけれど、できるだけ人が少ない時間帯を考えて7時30分頃に家を出る。ここ数年はクルマでしか行ってなかったけれど、電車で川村記念美術館に向かうことに。

10時ちょっと前に美術館に到着。開館間もない時間で雨も降っていたので予想通り客が少ない。ゆっくりとたっぷり鑑賞することができた。美術館を出てバス停まで向かっていると、美術館に向かう人がどんどん増えてきたので、早い時間に来てよかったと思った。雨の日は美術館に向かうのがおっくうだけど、鑑賞するには雨の方が作品に集中できてよいことがわかった。

『マティスとボナール』の展示室に向かう前に常設の作品が大量にあって、以前見たロスコルームはライティングが変更されてディティールがよくわかるようになっていた。前回見たときはフランク・ステラが展示されていなかったけれど、今回は大量に展示されていてラッキーだった。ニューマンルームの『アンナの光』は過去に一度見ているものの実物を見るとはやり圧倒される。

さて、『マティスとボナール』。マティスは地味ながら良い作品が多かったと思う。いつも思うのは、この段階で完成と判断するマティスのセンスと才能。正確に見たものをトレースする能力とか、緻密に描き込むという手法などとは全く違う次元で絵画を成り立たせている。

ボナールの作品を大量にじっくり見るのは初めてだった。『アンナの光』が圧倒的なオレンジを無機的に用いているのに対し、ボナールの画面に多用されているオレンジは、まるで細胞が増殖するかのように有機的だ。

マティスとボナールは年表を見るとほぼ同時期の画家だし、一見似ている画面もあるのだけれど、彼らがそれぞれ目指していた地平はかなり異なっていたのではないか、という印象だった。

昼過ぎに佐倉駅に着き電車に乗った。何となく電車に乗ったまま鎌倉に向かう。散策しながら鎌倉文学館を目指すも閉館時間を過ぎてしまい入れず。しかし、鎌倉の民家や町並みを思う存分堪能できて、かなり遠出の散歩に満足。ただしあまりに歩きすぎて足が痛い。

新日曜美術館はゴーギャン。正直今は全く興味のない画家。生き様はドラマチックだけれど画面は退屈な感じ。

終日サイトのデザイン作業。終わったのが夜中なのでコーディングできず。気づいたら会期を逃していた展覧会が二つあった。残念。

今日も終日快晴。さすがにまっすぐ帰る。なんとなく洗濯する。

美術家 H 氏のブログを発見し、夜中の2時くらいまで過去ログを一気に読んでしまう。納得することもそうじゃないことも書かれているけれど、美術家はパソコンやネットに疎くてもかまわないと思われがちな風潮の中で、自分の思考や行動をブログで精力的に発信している H 氏には頭が下がる。

職場のサイトを更新しなければならないのだけれど、いっそのことデザインや UI もリニューアルしたい。

昼前に校正用の原稿が届く。最近は土日に飲むことはほとんどないのだけれど、一日中家にいたので夕方から戎で軽く飲む。

新日曜美術館でマティスとルオー。ルオーは決して好きな絵を描く画家ではないが、ルオーについて、美術の教科書の情報以外にはまるで何も知らないことに気づいて驚く。